『フォークナー短編集』
『フォークナー短編集』、いちおう読了。
なんだか、ごたごたしてよくわからない。
しかし、何かすごいことが書いてある……気がするので、もう一度読み返すことにする。
司会の構成も、なんとなく頭の中で組み上がってきた。
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『フォークナー短編集』、いちおう読了。
なんだか、ごたごたしてよくわからない。
しかし、何かすごいことが書いてある……気がするので、もう一度読み返すことにする。
司会の構成も、なんとなく頭の中で組み上がってきた。
「レッテルを貼るな」と言ってくるのも、十分にレッテルである。
「責任者」とは、「責任を取らない者」の略である。
福島の人を差別してはいけない(「風評被害」はよくない)→だから原発は安全だし汚染もたいしたことない。
本気でこんな思考回路の人がいるのが驚く。
「差別は良くない」というのは、誰も反対できない絶対的な「真理」である。
だから、「真理」(神理)ゆえに現実をねじ曲げてしまうのだ。
宗教的なドグマに酔いすぎて、現実を否定してしまう狂信者に似ている。
この世で「絶対的な真理」ほどうさんくさい者はない。
なぜなら、その真理のために、何もやってもいいし、嘘を言ってもいいと思い始める者が現れるからだ。
すべてのカルト宗教の根底にはこれがある。
政治家が「誤解だ」と言うとき、それはたいていは「正解」である。