杉岡幸徳の著作

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悩み

人間の悩みの大半は、自分を大切にすることから来ている。

自分を捨てた時初めて、道は開ける。

成熟

成熟は、けっして堕落となってはならない。

犯罪と美

犯罪的なものはすべて、美を醸し出す。

芸術家のやるべきことは、とにかく犯罪を賛美し、称揚し、それを芸術に変えることである。

Stay hungry, stay foolish

"Stay hungry, stay foolish"を大阪弁に訳してみる。


「がめつうに生きなはれ。それと、アホにならんとあかんで」

ランボー

アルチュール・ランボーは詩人だった。

なぜなら、彼は詩を書くことを放棄したからだ。

10年

最近気づいたのだが、僕が『ゲオルク・トラークル、詩人の誕生』を出したのが2000年3月。

つまり、僕が物書きの道に入ってから、今年で10年目ということなのだ。

色々思うところはあるが、とりあえずはその事実だけ。

ひょっとしたら、僕も転機なのかもしれない。

かつては本を出すだけで嬉しかったが、今はそうではない。

新たな方向性・創造への道を探していかないと。

一生懸命

「一生懸命やっているのに、なぜうまくいかないんだ」と嘆いてはいけない。

一生懸命やっているからこそ、うまくいかないのだ。

この世には、手を抜いたほうがうまくいくことがある。

まずは、気楽にやることだ。

一生懸命の方向性を間違えているのかもしれない。

『ゲオルク・トラークル、詩人の誕生』

僕の処女作である『ゲオルク・トラークル、詩人の誕生』(鳥影社)は、今のところ品切れになっている。

僕はいくらか持っているので、試みにアマゾンマーケットプレースに二冊出してみたら、一日で完売してしまった。

なるほど、この本は発行部数も少なかったし、けっこう需要があったのか。
マーケットプレースにも滅多に出ないので、図書館で借りて読んでしまった方もいるだろう。残念。

こんなことなら、もっと早く出品するべきだった。
僕としても、この本が広く行き渡り、多くの人に読まれるのは嬉しいことだ。

これは、僕を大学の外へ連れ出し、物書きの道へと投げ出した本なのだ。

日本は沿岸捕鯨の再開に反対するか?

日本の沿岸捕鯨、年120頭容認 IWCが議長提案

【ロンドン共同】捕鯨の在り方を検討してきた国際捕鯨委員会(IWC)は22日、現行の調査捕鯨に代わり今後10年間、日本がミンククジラを沿岸で年120頭捕獲することを容認する議長・副議長提案を発表した。


この提案に真っ先に反対する国がある。
それは、オーストラリアなどではない。
日本だ。

農林水産省としては、商業捕鯨が再開されず、いつまでも調査捕鯨が続くほうが都合がいいのである。
なぜなら、商業捕鯨はもはやビジネスとして成り立たず、わざわざ参入する民間会社は存在しないからだ。

クジラ食が日本の伝統食というのは大嘘だということは、『世界奇食大全』(文春新書)にも書いておいた。

日本語の妙

日本語の妙について。

「調査捕鯨」とは、実質的には「商業捕鯨」を指す。

政治家が開く「勉強会」は、要するに「クーデター画策委員会」である。

自分らしく

「自然体でいたい」「自分らしくありたい」と言っている人は、今まで一度も化粧をしたり、演技をしたりしたことがないのだろうか?

美は過剰にあり

美は過剰にあり。なんでもやりすぎれば、美しく見える。

マスコミ

マスコミをやたらと敵視するのは、マスコミに相手にされない人間だけだ。

学者

学者というのは、だいたいはオタクだ。
オタクは学者ではないが。

週刊ポストにコメント

今日発売の週刊ポストの特集「日本人とセックス」にて、僕がいろいろコメントしていますので、よかったらご覧ください。

良い批評

「ほめる批評だけが良い批評だ」という言葉は本当だ。

けなす批評は作家に対するテロリズムであり、作家に少しも良い影響をもたらさない。

ゲオルク・トラークル

ゲオルク・トラークル(1887-1914)を再読している。
闇夜に煌めくオパールやルビーのような陰惨な輝きと戦慄に、あらめて驚嘆する。

トラークルはオーストリアのザルツブルク生まれ。当時勃興したアヴァンギャルド芸術運動である、ドイツ表現主義の最高の詩人とされる。
彼はあらゆるドラッグを試して詩を書いたジャンキー詩人であり、妹との禁じられた愛も噂されている。
トラークルは第一次世界大戦に従軍したが、戦場のあまりに苛烈な現実に耐え切れず錯乱、精神病院に収容される。そこで大量のコカインを使い、オーバードーズで27歳の生涯を閉じた。

僕の処女作『ゲオルク・トラークル、詩人の誕生』(鳥影社)のテーマとなった詩人である。
以下の詩は、彼の代表作の拙訳。


滅び

夕暮れ、鐘が平和を鳴り響かせると、
僕は鳥たちの美しい飛翔を追う、
長い群れをなし、敬虔な巡礼の列のように、
秋の明るい空に消えていく。

暮れゆく庭をさまよいながら
僕は鳥たちの明るい定めを夢み、
もう 時の動きさえ感じない。
それで僕は雲を超え 彼らの行く先を追う。

すると、滅びの息吹が僕を震わせる。
くろうたどりが葉を枯らした枝で鳴き叫ぶ。
赤いブドウが錆びた鉄格子に揺れている。

そして 青ざめた子供たちの死の輪舞のように
朽ちていく暗い泉のふちで、
風の中に凍えながら 青いアスターが頭を垂れている。

美しいものにはすべて意味がない。

しかし、意味のないものがすべて美しいとは限らない。

トラークル

トラークルを久しぶりに読む。

暗闇に妖しく煌めく、ルビーやオパールのような詩句たち。

散文でこれに匹敵するような、戦慄的な美と光輝を創造できないか、考え始める。

インターネット

インターネットとは、愚者の、愚者による、愚者のための言論の自由を指す。

作家の使命

作家の使命の一つは、間違いなく、読者の意見はまったく聞かないことである。

作家は、自分の内部の声だけを聞いていればいい。

違う仕事を探せ

最近、とても心に響いた記事。
僕らは、今何をして、どこにいるのだろうか?
この世には、物わかりのいい連中が多すぎる。

最近暴走しているもうひとつの加算はモザイク。つい数日前、たまたま付けたテレビのチャンネルで、昔の歌謡番組の映像を流していた。チャンネルを変えようとした僕は、リモコンを持つ手を思わず止めた。カメラが客席を向いたその瞬間、画面いっぱいにモザイクが現れたからだ。

 昔はそのまま放送した映像のはずだ。でも今は当たり前のように画面いっぱいのモザイク。この処理を施したディレクターか命じたプロデューサーは、個人情報とか人権とか肖像権とか、そんな気遣いをしたつもりなのだろうか。もしも仮にそうならば(そうとしか思えないけれど)、違う仕事を探しなさいと僕は言いたい。表現は人を加害する。開き直れという意味ではなく、その覚悟をしなくてはならない。個人情報だの肖像権だのを優先するならば、表現を仕事に選ぶべきではない。

(「地震に怒ったディレクターはどこへ消えた?」森達也。強調は引用者による)

啓蒙思想

愚かな人間が、愚かな思想に惑わされ、さらに愚かになる。

これを啓蒙思想という。

「調査捕鯨」のクジラ肉が日本から密輸される

調査捕鯨の鯨肉、韓国に密輸か~米研究者ら

 アメリカの大学などの研究グループは14日、韓国で販売されていた鯨肉の一部が、日本の調査捕鯨で捕獲されたものである可能性が極めて高いとする調査結果を発表した。


『世界奇食大全』(文春新書)にも書いたが、これは要するに、日本ではクジラ肉が余っているということですよね。
この事件は、そういう事実の残照にすぎない。
日頃、捕鯨賛成を声高に謳っている人々は、なんで積極的にクジラを食べないのだろうか?

「珍しい食べ物のことを奇食というなら、今やクジラ肉も立派な奇食だろう。
 一九八六年にIWC(国際捕鯨委員会)の決議を受け、商業捕鯨が中止されて以来、我が国の鯨肉の消費量は激減しているからだ。もはや、クジラ肉は余っているのである。
 二〇〇八年に共同船舶が発表した統計によると、日本人が一年に食べる鯨肉の量は、わずか五十グラム。刺身にして、半人前ほどだ。同じように局地的でマイナーな食材である馬肉すら、この倍は消費されているのに、だ。」

『世界奇食大全』(文春新書)より

破綻

優れた芸術作品には、たいていは破綻がある。

その裂け目に、美が覗いている。

その裂け目は、薔薇で蔽われている。

プリンターの謎

某メーカーのプリンターの謎。

黒でしか印刷していないのに、青や黄色のインクも、着実に減っていく。
いったいどうなっているんだろう。
このメーカーのインクタンクは、クラインの壺にでもなっているのだろうか?

Twitterは本当に流行るのか

僕がいまだTwitterに及び腰なのは、これが本当に流行るかどうか、わからないから。
数年前、流行る流行るとやたらと宣伝され、結局ぽしゃったセカンドライフという実例もあるしね。
もし流行らなければ、壮大な時間の無駄をすることにならないだろうか?

今週の週刊ポストはTwitterの特集だった。
その中でITコンサルタントの人が、「Twitterバブルは今年の夏がピークで、年末には終わる」と言っていた。
どうなんだろう。

召し上がれ

現実に、食事をふるまう時に「召し上がれ」という人はいるのだろうか?

食品産業のコマーシャルは別にして。

ネットスラング

物書きは、ネットスラングを使うべきではない。

なぜなら、スラングとは要するに「紋切り型表現」でしかないからだ。
創造者は、常に新しく独自な表現を求め続けねばならない。
スラングは邪魔なのである。
そこには、芸術の自由はない。
スラングは、芸術家を縛る鎖でしかない。

仮面

仮面をかぶる者にとっては、仮面こそ素顔である。

演技こそ自然体である。

保守政治

金も権力も何もない若者が、「保守」政治に傾倒することほど、奇怪で滑稽なことはない。

彼らは、自分の空っぽな腕の中を守りたいのだろうか?

行方不明

僕らには、行方不明になる権利がある。

携帯電話はいらない。

謎かけ

「~とかけて……ととく。その心は……」

という謎かけ。
聞いている人はみんな感心するが、誰ひとり笑っている者はいない。
あれは「お笑い」ではなかったのだろうか?
それとも、お笑いを超えた何か別のものなのだろうか?

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