キム・ヨナの歌
女子のフィギュアを見ていた。
一言で言って、キム・ヨナの金メダルは当たり前だろう。
彼女の動きはまるで清流のよう、淀みなく、一挙一投足が歌になり、音楽になり、溜息になる。
まるで一枚の高雅なペルシャ絨毯のように、動作に切れ目がなく、一つの作品の中に編み込まれている。
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女子のフィギュアを見ていた。
一言で言って、キム・ヨナの金メダルは当たり前だろう。
彼女の動きはまるで清流のよう、淀みなく、一挙一投足が歌になり、音楽になり、溜息になる。
まるで一枚の高雅なペルシャ絨毯のように、動作に切れ目がなく、一つの作品の中に編み込まれている。
空気は読むべきではない。
作るべきだ。
「綺麗ごとは嫌いだ」と言うのも立派な綺麗ごとだ。
この世には、綺麗ごとによってしか語れない真実もある。
2月17日、ザ・ゴールデンアワー(Tokyo MX)に出演しました。
『世界奇食大全』にスポットを当て、僕と徳光正之さん、小泉恵未さん、そして外国人の方々が奇食を食べながらお話するというもの。
その日は、フグの卵巣のぬか漬け、おたぐり、ニワトリのとさかがスタジオに登場しました。
フグの卵巣は、初めはみんな戦きながらも、日本人の方々には好評。
おたぐりは、相変わらずすごい臭いで、スタジオ中に異臭が充満していました。しかし、外国人の方々には好評。
ニワトリのとさかは、ロシア女性のオクサナさんが「ロシアではよく食べるよ」といい、喜んで頬張っていました。
ご覧いただいた方にも、楽しんでいただけたのではないでしょうか。
スポーツと芸術の違い――
スポーツは、判断基準を外部に求める――審判、ストップウォッチなど。
芸術の判断基準は、芸術家本人の中に眠っている。
インターネットでは、何でも手に入る。
ただ、知りたいことだけは別にして。
本当に自分らしさを追求している人間は、けっして「自分らしく」などとは言わないはずだ。
なぜなら、「自分らしく」という言葉自体が、すでに他人が発明したものだからだ。
僕の住んでいる街は、いちおう東京の中にも関わらず、とんでもない田舎だ。
こんな雪降る夜は、喫茶店に座って窓の外を眺めていると、まるで東北の片田舎にでも佇んでいるような、わびしい気分になってくる。
2月6日、東京カルチャーカルチャーにて、B級スポットサミットに出演しました。
初めは何人来てくださるか不安だったのですが、蓋を開けてみると入場者は120人で、満杯でした。
僕は奇祭のほかに網走刑務所博物館や喫茶マウンテン、お茶漬けニューヨーク(拙著の『世界奇食大全』を参照)などを、スライドを提示しながら解説しました。
会場はなかなかの熱気でしたね。
好評でしたので、第二弾も予定されているようです。
みなさん、またぜひいらしてください!
2月2日、「小倉淳の早起きGoodDay!」(ニッポン放送)に出演しました。
朝五時半からで、もう三度目です。
僕の話に、小倉さんはかなり感動してくださったみたいでした。
作家のなすべきこと――
それは言葉の襲撃に身を任せること。
けっして、そこから逃がれようとはしないこと。
東京に久しぶりに雪が舞っている。
夜が銀色に涙を流している。
そして、僕は凍えている。