杉岡幸徳の著作

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「最高に面白い新書」の八位に選ばれました

『一個人』(KKベストセラーズ)の2010年1月号で、『世界奇食大全』(文春新書)が「カリスマ書店員が選ぶ、2009年の最高に面白い新書」の八位に選ばれました。

「カリスマ書店員」の方によると、珍グルメを扱いながらも、「なぜか食べたくなる」本だということです。
そんなに美味しそうに見えてくるのでしょうか。
これにより、もっと本が売れてくれるといいなあ。

『一個人』には、「2009年の最高に面白い新書」について、「今回選ばれたのは時代を語ったものではなく、むしろ普遍的な価値や教養を学べる本だ」と書かれています。

これこそまさに僕が狙っていることです。
僕はいつでも、その場限りの流行や思潮を追いかけるのではなく、五十年後、百年後でも読むに耐えうる物を書こうと思い、そしてそうしているつもりなのです。

「となりのマエストロ」に出演

11月29日、「となりのマエストロ」(TBS)に出演しました。

都内の祭り居酒屋なるところで、愛媛県大三島の「一人相撲」について語りました。
人間が稲の精霊と相撲をとり、精霊が勝つとその年は豊作になるという相撲です。
常人にはなぜか人間が一人で相撲を取っているように見えます。
不思議なことに、毎年精霊が二勝一敗で勝ち越し、豊作が約束されることが恒例になっています。

告白

告白することを嫌う者が告白したとき、彼の言葉は真実である。

作家の侮辱

作家に対する最大の侮辱は、作家の言うことをまともに受け取ることである。

インターネットと本

書籍がインターネットに影響を与えることは、まずない。

しかし、インターネットが現実世界に影響を与えることは、それ以上にありえない。

All Aboutで対談しています

All Aboutの「海外旅行・自由旅行」というコーナーの「ゲテモノ? 珍味? 世界の究極美食を味わう旅」という記事で、ガイドの高井 章太郎さんと対談しています。

テーマは、世界の奇食について。写真もカラフルに豊富です。
一度ご覧ください。

「クイズ!紳助くん」に出演

「クイズ!紳助くん」(ABC朝日放送)に出演しました(11月23日放送)。

僕に島田まさしさん、三浦マイルドさん、豊留梓沙(きらりん☆)さんが弟子入りし、各地の珍グルメを食べ回るという趣向でした。
といっても、東京では放送されていないので、僕はまだ内容を見ていないのですが。

新宿の中華料理屋「上海小吃」に始まり、いろんな変わった料理を出すお店を巡り歩きました。
僕としてはふたたびシュールストレミングを試せたのが、もっとも大きな収穫でした。
相変わらず、とてもまともに食べれませんでしたが……。

「中西一清スタミナラジオ」に出演

今朝、「中西一清スタミナラジオ」(RKB毎日放送ラジオ)に出演しました。

『世界奇食大全』(文春新書)の話を中心に、特に新しい珍グルメについて話をしました。

中西さん自身がけっこう変わった食べ物を食べていて、本に載っているものの八割は経験済みということ。
それでも、パイナップル茶漬けやみかんご飯、味噌カレー牛乳ラーメンの話については深く感動されていました。

十円玉コレクター

10円玉“ずっしりボーナス”大阪のたこ焼き店

たこ焼き店運営の「元祖たこ昌」(大阪市)の道頓堀本店で1日、従業員にボーナスの一部を10円玉で支給するイベントが開かれた。

 「不況で軽くなった分、重みだけでも」というしゃれの利いた企画で、山路昌彦会長が10円玉50枚の棒金15本を俵積み(重さ約3・4キロ・グラム)にして手渡しした。

 受け取った従業員は「明るい話題作りで、消費者の財布のひもが緩めばうれしい」と話していた。


しかし、「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」にはこうあるんですよね。

第7条 貨幣は、額面価格の20倍までを限り、法貨として通用する。

つまり、10円玉が通用するのは20枚の200円まで。
21枚以上は、従業員が、
「こんなハシタ金を受け取れまっかいな。一万円札であんじょうしてんか、ワレ」
と言ったら通用しなくなるのだ。

まあ、そこまで言う奴はいなかったんだろうけど、10円玉で延々とボーナスをもらって、従業員に何の得があるのかは疑問だ。
金にうるさい大阪人が、よくも黙っているもんだと思う。
この店は、十円玉コレクターでも集まっているところなんだろうか。

いま思いついたのだが、この店に行って、料金をみんな一円玉で払ってみたらどうだろう。
店としては迷惑千万だが、当然、受け取り拒否はできないはずだ。

方言の存在しない地より

「めっちゃ好きやねん」方言で話す異性にグッとくる?


発作的に書いてみる。
どこの方言で萌えたり何したりするかはどうでもよし。

「出身地に方言が「ある」という回答者は66.9%、「ない」人は33.1%だった」
とあるけど、方言の存在しない地域がこの世にあるんですかね? 
いったいどんな所で生活しているのだろう。

こんなこと言っている人に限って、実際に喋ってみると、とんでもないズーズー弁だったりするのが世の常だ。

ちなみに僕はいまだかつて、「標準語」で話す人を一度たりとも見たことがない。
ただ、テレビの中のNHKアナウンサーは別にして。

「オラの村には方言なんかねえだ」と主張する人は、おそらく「標準語」と「東京弁」と「共通語」の区別が付いていないのだろう。

海のエイリアンを食す

R25に「海に潜む珍生物のお味とは!?」という記事が掲載されました。
例によって、僕がインタビューを受け、答えています。

どう見てもエイリアンにしか見えない、不気味な「ワラスボ」や、地元の言葉で「若い衆の尻の穴」という意味の「ワケノシンノス」なる謎の海産物について語っています。

芸術家の使命

芸術家の一つの使命は、善良なる一般市民に、できる限りの嫌がらせをすることである。

ユーモア

ユーモアのセンスがない者は駄目だが、ユーモアのセンス「しか」ない者も、やはり駄目だ。

トラークルに何が?

最近、「ゲオルク・トラークル」で検索をかけて、このブログまで流れつく方が増えています。

トラークルの身に何が起こったのでしょうか?
どこかで忽然と、この詩人の話題が沸騰中だとか……?
ご存知の方、教えてください。

Ichihashi Case

最近、市橋容疑者の事件に関心があり、これについて小説を書こうと思っている。

いま僕が心ひかれるのが、大阪南港で、捜査員に「市橋か」と聞かれた彼が、即座に「そうです」と答えたこと。

今まで自分の名前を隠し、整形までして逃げ回っていた容疑者が、なぜ最後に自分が市橋であることを簡単に認めたのか。
彼は、市橋であることから逃亡していたはずなのに。

この辺の心理を僕なりに解釈し、書いてみようと思う。
もちろん設定を変え、完全にフィクションへと転換して、だ。

芸術家はいかに転がり続けるか

先日、『世界奇食大全』(文春新書)なる本を上梓した。

僕が世界中の変わった食べ物を食べ、それをひたすら論評したものだ。

カンガルー、ザザムシ、メダカ、サソリ、サボテン、ラクダのこぶ、クマ、ウサギ、酒ずし、漬け物のステーキ、土のスープ、蜂の巣、バクラヴァ(世界で一番甘いお菓子)といった伝統的な奇食から、パイナップル茶漬け、みかんご飯、シュールストレミング(世界で一番くさい食べ物)、サルミアッキ(世界で一番まずい飴)、アブサン(幻覚を呼ぶ酒)、味噌カレー牛乳ラーメン、納豆コーヒーゼリーサンド、味噌カツ丼アイス、カレーラムネ、ふなずしパイといった新しい物まで、最後の奇食リストを含めると、150ほどの変わった食品について書いてみた。
 

「何を食べているか言ってみたまえ。君が何者か当てて見せよう」
とフランスの高名な美食家ブリア=サヴァランは言ったが、確かに食べ物は人間そのものだ。料理を知ることによって、人間文化の根源がわかるのだ。
この本は、単なるイカモノの紹介にとどまらず、なぜこんな奇妙な料理が生まれたのかという、人間世界のドラマや悲哀も、あわせて描いている。


ところでこの本を出したら、ある人に言われた。
「君は奇祭について色々書いてたんじゃないの? あれはどうなったんだよ」
もちろん、僕は今も奇祭について書いているし、取材も続けている。それと平行して、平然と食文化についても調べ、著述していくということだ。

だいたい、表現者は一つのテーマに縛られるべきではない。

たとえばここに、リンゴの絵をよく描く画家がいるとする。
しかし、彼は別にリンゴオタクではない。リンゴ研究の学者でもない。
リンゴの描写に一生を懸けることなど、夢にも思わないだろう。たまたま、自分の芸術を表現する手段として、そこにリンゴがあっただけだ。

そしてある時、彼は突然美しい女の裸体を描きはじめ、周囲を驚かせるだろう。
しかし、彼自身は少しも驚いていない。それは、彼の内部では必然の出来事だったのだ。
彼の真の目的は、内面に渦巻く美の幻影を表現し尽くすことであり、リンゴも輝く女の柔肌も、等しく彼の芸術に奉仕する素材にすぎないのだ。


芸術家は、美の奴隷になるべきである。
モチーフの奴隷になるべきではない。


僕も一人の物書きとして、これからも常に転がり続け、変貌し続けるだろう。

食べ物とは人間の本質であり、世界を動かす原動力である。これを書き続けるのは当然だが、それと平行して、小説やフィクションの方向にも足を向けていく。
もともと僕の文体は、強烈に主観的な色彩に満たされているため、本来はフィクションに向いているようだ。

だいたい、僕が最初に書いた本は、オーストリアのジャンキー詩人ゲオルク・トラークルについてのものだったから、常に変転してきたわけだ。

表現者は、変わり続けてもかまわない。むしろ、変わるべきである。
ただ、頭上に煌めく星たちから目を背けなければ。
 

幸いにも最近、
「杉岡さん、次はどんなことを書き始めるんですか? 楽しみです」
とも言われるようになった。

こうやって読者をワクワクさせ、時には呆然とさせるのも、物書きに与えられた楽しい使命ではないだろうか。


(初出:書人宝庫)

芸術家と商売人

芸術家と商売人の違いは、次のようなものだ。

美しい湖を見たとき、芸術家は「この美しさをいかに表現するか」を考え始める。

商売人は、「この湖の畔にホテルを建てたら、いくら儲かるか」を計算し始める。

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