杉岡幸徳の著作

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「奇祭写真家」の誕生

「杉岡さんって、写真の勉強をされてたんですか?」

ある編集者が、いきなり僕にこう聞いてきた。
ちょうど、僕が出したばかりの『珍祭・奇祭きてれつガイド 日本トンデモ祭』を見せていたときのことだ。

はじめは、
「お世辞のうまい人だなあ」
くらいにしか思わなかったのだが、その後、同じ事を何人もの人に言われたので、これが決してお世辞ではないことに気づいた。

もちろん、僕は写真学校などには通ったことはない。
カメラを買い、本能のおもむくままに撮りまくっているだけだ。
それが、人から見て「うまい」と言われるようになったのは、どうしてだろう。


実は、祭りの世界には、その筋では誰でも知っている有名なカメラマンがいる(仮にここで「H氏」としておく)。
しかし、別の編集者は、こう言った。
「私は祭りの記事を作るために、巨匠のHさんのところへ行って、写真を借りに行きました。でも、はっきり言っておきますが、Hさんの写真より、杉岡さんの写真のほうがはるかにいいです」と。


祭りの写真を撮るのは、大変な作業だ。
祭りにはいつも多くのギャラリーがいる。しかも、どんなマイナーな祭りでも、カメラを抱えたアマチュアのカメラオヤジだけはわんさかいるのだ。
祭りの写真を撮るということは、その人ごみの中に揉まれ、とにかく前に出て、シャッターを切ることだ。
遠慮していたら、無神経なカメラオヤジに視界をさえぎられ、おいしいシーンを持っていかれてしまう。
しかも、祭りはたいてい一年に一回しかないので(すごいのになると、74年に一回という祭りもある)、ここでタイミングを逃すと「また来年」ということになる。
といっても、来年に何が起こるかはわからない。
本当に一発勝負の世界なのだ。

先ほどの編集者が、
「杉岡さんのほうがHさんより写真がうまい」
と言ったのは、僕の写真のほうが、奇祭の不思議さ・奇妙さ・おかしさを的確に捉えているからだろう。
あたり前だが、同じカメラを持っても、何に注目するか、何を愛するか、女性のタイプは何かなどで全然結果は違ってくる。
奇祭の場合、写真を撮る者のセンスが問われてくるのだ。


 ……と長々と書いてきたのは、
「祭りの写真を貸し出します!」
ということが言いたかったからです。
変な写真、不思議な写真、この世のものとは思えない写真もいっぱいありますので、ぜひメールでお問い合わせください。

ロシアの神秘~旅と投げ捨てられたネクタイ

初めて旅に出たのは、19歳のときだった。

僕はその頃、某大学でドイツ語を学んでいたのだが、思えば奇妙で堅苦しい少年だった。
大学のみんながジーンズやTシャツというラフな格好で学校に通う中、僕はなぜかスーツでビシッと決め、ネクタイを固く結んで、極めてフォーマルな格好で通学していたのである。
「大学生→大人→スーツでビシッと決めねばならない」という「スーツの法則」を、自分で勝手に作り信じ込んでいたのだ。

大学2年生の夏、突然「旅に出よう」と思った。理由はよく憶えていない。
行き先は、当時ソ連と呼ばれていた「ロシア」に決めた。これも理由はよく憶えていない。
ただ、当時の資本主義国から見れば、ロシアは危険で、胡散(うさん)臭く、得体の知れない国だった。
僕は、その得体の知れなさに惚れたのかもしれない。

新潟空港からアエロフロート機に乗り、ハバロフスクに向かう。そこは、あの有名な「シベリア鉄道」の発着地だった。
シベリア鉄道の客室は、一つのコンパートメントに二段ベッドが二つがある、四人定員制だった。二段ベッドの上段には柵もなにもなく、転落したらそれっきり、という恐ろしい列車だった。
僕は言葉のまったく通じないロシア人たちに囲まれ、ロシア人の独特の体臭に悩まされながら、一路モスクワを目指したのである。
モスクワまで、7泊8日。

それは、奇妙で恐ろしい体験だった。ロシアは、シベリアは、とてつもなく広い。丸一日車窓から見える風景は同じで、夜寝て朝目覚めると、また同じ景色が広がっているという、地平線すら見たことがない僕にとっては、ほとんど想像を絶した世界だった。

そのうち、僕の感覚はおかしくなり始めた。僕はそれまで、これほどとてつもなく広く、変化のない漠然とした世界に身を置いたことがなかったのである。
僕は僕の内面で、空間感覚がゆっくりと解体し始めるのを感じていた。

そして、時間の感覚も破壊され始めた。
8日間も同じ列車の同じ客室で暮らすのは、恐ろしく単調で異常な体験である。
しかも、シベリア鉄道は西へ西へと走っていくので、ほぼ1日に1時間ずつ、時間がずれていくのだ。
朝起きて、時計の針を1時間戻す。外に広がる風景は、昨日とまったく同じ、シベリアの茫漠たる平原だ。客室にいるロシア人の顔も、昨日と同じである。
僕はそのうち、奇妙な妄想に囚われ始めた。
「ひょっとしたら、僕は永遠にこの列車から逃れられないのではないか」

しかし、車窓からモスクワの灯火が見えたとき、僕は感激のあまり涙を流しそうになった。ここが資本主義国の言う「悪の帝国」の帝都なのか。

有名な「赤の広場」に立ったときの感動は忘れない。
赤の広場は石畳の敷きつめられた、ただのだだっ広い広場なのだが、僕がそこに立ったとき、足元から異常なエネルギーが這い登って来るのを感じた。
ここは、帝政ロシアの時代から、ロシアの権力闘争の舞台になった場所である。
権力を追い、敗れ、滅びていった者たちの怨念・情念が渦巻いているような場所だったのだ。


ロシアは、神秘的な国である。ロシアを旅して霊感を受け、別人のようになってしまった人は、少なからずいるのだ。

ライナー・マリア・リルケ(1875~1926)は初めは極めて凡庸な詩を書く詩人だったのだが、25歳のときのロシア旅行で異様な霊感を受け、帰ってきたときは別の詩人になっていた。
彼が『時祷詩集』を出し、独自の空間を持つ新しい詩法を編み出したのは、その後である。

「20世紀最大の魔術師」と呼ばれるアレイスター・クロウリー(1875~1947)は初めは外交官だったが、1897年のロシア旅行の後「魂の暗い夜」を過ごし、その精神的危機を克服した後、彼は「20世紀最大」と呼ばれる魔術師になっていた。
ロシアには、どこか人間の感情や感性を爆発させ、新たな形に鋳造する奇妙な霊気が漂っているような気がする。

僕はモスクワで数日を過ごし、レニングラード(現サンクト・ペテルブルク)で白夜に近い神秘的な夜を体験しながら、数週間で帰国した。
帰国するなり、僕は精神的な動揺に見舞われた。
自分の足が地についていない感じがする。不安が襲う。奇怪な幻覚を見る。自分が自分でない気がする。
そして、昼と夜が逆転した生活が始まった。
これは、シベリア鉄道の体験により、僕の中の空間感覚・時間感覚が完全に破壊されたからだろう。
僕の中で、何かが変わったのである。

夏休みが終わり、新学期が始まった。
だが僕はもう、スーツとネクタイで通学しようとは思わなかった。
ネクタイを投げ捨て、ジーンズをはき、ジージャンをはおって大学に出かけた。
ロシアでの体験が、僕の中にあった秩序・規律・「あるべき姿」を破壊してしまったのである。

僕が「ものを書こう」と思うようになったのは、そのころである。
旅を終え、僕の内面の空間感覚・時間感覚が破壊しつくされた後残ったのは、表現に対する燃えるような欲求だった。
僕はロシアで、僕の心を締めつけていたネクタイを投げ捨てたのだ。


(メールマガジン「書人宝庫」第88号に掲載されたエッセイ)

泥打ち祭りに行く

3月28日、福岡県杷木町に「泥打ち祭り」を取材に行く予定だ。
真っ白な衣装を着た男に、みんなで泥をぶつけ、投げつけ、泥まみれにするという祭り。リンチではない。
ドロドロになればなるほどその年は豊作になる、という趣旨なのだ。

この杷木町は僕が『珍祭・奇祭きてれつガイド 日本トンデモ祭』で取り上げた、「おしろい祭り」の行われる町だ。
この杷木町という所は、どうも奇祭が大好きな町なようで、このおしろい祭り、泥打ち祭り、鎮祭をまとめて「杷木町三大奇祭」を自称している。

ただ、最後の「鎮祭」については、観光案内所のおばさんすら知らなかったのだが……。
どんな「奇祭」なんや。
観光案内のおばさんすら知らないほど神秘的だから、「奇祭」と呼ぶのだろうか。


東京から福岡まで行く航空券を探したのだが、驚くべきことに、最近はストレートに航空券だけを往復で買うより、ホテルを一泊つけたツアーのほうが安くなるのだ。
海外では昔から、バンコク行きやソウル行きなどで、単に航空券だけを買うよりホテルをつけたパックツアーのほうが安い、という現象が見られたが、日本の国内線もそうなりつつあるのだ。

日本もいよいよ先進国から脱落し、発展途上国へと落ちていく兆候のように思える。
東京-大阪間4000円の激安バスが人気を集めているように。
サイゴン-ハノイをぎゅうぎゅう詰めのバスで延々と二日間も行くベトナムと、たいして変わらなくなってきている。


ところで、東京-福岡間のホテル付パックツアーを探していたら、妙に安いツアーがあった。
3万円を切っているのだ。

「なんでこんなに安いんだろう」
と不思議に思ってよく見ると、「宿泊先は○○健康ランドです」と書いてあった。

つまりこれは、飛行機を降りたらサウナに行って、仮眠室で勝手に雑魚寝せんかい、というほとんど投げやりなツアーなのだ。
こういういい加減なツアーも、タイやカンボジアなど、発展途上国でしばしば見られる。

いよいよ日本は衰退し、発展途上国への道を歩み始めたらしい。

渋谷で音楽を買う

久しぶりに、渋谷まで買い物に行く。
相変わらず、訳も分からず人が多い。いったいこの人々はこの街で何を求め、どこに行こうとしているんだろう。

目的は、タワーレコードでCDを買うため。
アマゾンなどでもCDは買えるが、特殊なもの、限定されたものはなかなか見つけることはできない。

たとえば、
「バッハのチェンバロ曲が聴きたい」
と思ったとき、アマゾンは力不足である。
演奏者の名前は出てくるが、その人がチェンバロを弾いているか、ピアノで代用しているかまではデータに載っていないからだ(演奏者により、ある程度の推測はつくが。たとえば、演奏者がグレン・グールドなら、弾いているのはピアノだろう。しかし、100%は断言できない)。

そういう時は、アナログ的に大きなCD屋に行って、自分の目と耳で確かめるしかない。

今日買ってきたのは、ヘンデルのチェンバロ組曲。ジャケットに「チェンバロ演奏」と書いてあるので、すぐわかった。
帰って聞いてみたが、まるで水の中に響きわたる音楽のように心地よい。

まるでイルカの歌のように。

「奇祭カレンダー」を作成中

「あんな変な祭りの情報を、どうやって仕入れてくるんですか?」
と、僕は今まで1000回以上は聞かれている。

そのたびに、
「いや、国家機密なんですよ」
と答えることにしているが(そんな大したもんじゃない)、多くの人にとって、僕がどこから奇祭の情報を集めているのか、極めて不思議で神秘的に見えるようだ。


僕は今、「奇祭カレンダー」というものを作っている。
この間、僕のパソコンに放り込んだまま一度も使ったことのなかった"Outlook"というソフトに、カレンダー機能があることに気づいたからだ。

これはなかなか便利である。僕はさっそくこのカレンダーに、奇祭の日時、場所、内容などを打ち込み始めた。
まだ始まったばかりである。

これは、世界中どこを探してもないカレンダーになるだろう。
ほとんどの人が、僕が奇祭の情報をどこから得ているのか不思議に思っているくらいなのに、その稀少な情報を克明に書き込んだカレンダーは僕しか持っていず、世界初になるに違いない。

ほとんど「国家機密」なみの情報レベルに達したこの「奇祭カレンダー」、CIAやモサド、KGBなどの間で血みどろの争奪戦が繰り広げられるのは間違いない。

東京のインドで古代ローマ帝国に出会う

これはデジャヴか、テレポーテーションか。
昨日、東京のインドで、古代ローマ帝国に出会ってきた。

友人のライター・西牟田靖君の新作『写真で読む 僕の見た「大日本帝国」』の出版記念パーティーでのことだ。
会場は新宿駅前のインド料理店で、バイキング形式で飲み放題食べ放題だった。

途中、僕は自然の声に呼ばれてトイレに行くと、そこにはこんな貼り紙があった。

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「当店はバイキングでの『はき食べ』のお客様は、固くお断りしております」……。

おそらく、バイキング形式で定料金なのをいいことに、無理やり腹に料理を詰め込んで、それをトイレですべて吐いて復活し、またバイキングの戦列に戻り食いまくる連中が、いっぱいいたのだろう。

しかし、これではまるで古代ローマ帝国ではないか。
爛熟し腐敗していたローマ帝国では、パーティー会場の片隅に「吐き壷」というものが用意されていて、ご馳走を目いっぱい食った後、「吐き壷」で吐いて、すっきりしてまたご馳走を食い始めるという、極めて合理的なシステムがあったという。
日本も爛熟し腐敗し、没落せるローマ帝国に似てきたということか。
単に、アホな連中がいっぱいいるだけかもしれないが。


東京のインドの片隅で、古代ローマ帝国に出会ってきた。
新宿あたりは、やはり時空間がねじ曲がっている。

マイミクシーは、愛はどこにあるのか

さかりのついた猫の鳴き声に、春の訪れを感じる今日この頃。

マイミクについて、深く想っている。
マイミクとは、何のために存在するのか、と。
(「マイミク」とは、ソーシャル・ネットワーキング・サービスのmixiにおけるお友達のこと)

マイミクになって以来、一度も僕のページを見に来ていない人もいるのだ。
マイミク申請のときは、
「私は奇祭に興味を持っていて、ぜひ先生と交流を持ちたいのです!」
などと殊勝なことを言いながら、全然交流を持とうとしない人もいる。
中には、
「この人、僕を憎んでいるんじゃないか」
と思うほど足跡を残さない人、なんでマイミクになったのか、その経緯をまったく思い出せない人もいるのだ。
振り向けばそこにマイミク、という感じである。

中には、明らかに「単にマイミクの数を増やしたいだけ」という人もいて、そのような人の人生を観察するのも面白い。

猫のさかり声が響きわたる中で、僕は深くマイミクについて想っている。

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