杉岡幸徳の著作

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イラクは旅するに危険なのか

ふらりとイラクに行ってしまった香田さんについて、「認識が甘すぎる、危機意識がない」という批判がある。

なるほど、確かにその通りだ。まったく文句はない。
きっとあなたは、今まで間違いを一度も犯したことのない人間なんだろう。

しかし、日本政府は偉そうなことはいえない。
何しろ、日本とイラクの友好碑が爆破され、迫撃砲まで自衛隊宿営地に飛んできているのに、
「サマワは非戦闘地域で、安全である」
と主張しているのだから。

これを見ると、日本政府はイラクへのバックパック旅行を奨励しているとしか思えない。
勘違いする者が出てくるのも、当然なのである。

人質になった者の旅

旅とはみな愚かであり、自暴自棄なものなんだよ。
賢い者は、旅をしない。だから、賢い奴はつまらない。

僕がカンボジアに行ったとき、日本の外務省は、例によって退去命令を出していた。
街では、一日中銃声が轟いていた。夜になると、誰も外に出たがらなかった。
ほんの数日前、ある外国人が拳銃で撃たれ、所持品をすべて奪われていた。

しかし僕は、帰る気はさらさらなかった。
僕は、僕の前の道を踏みしめて行っただけだ。
たとえそこに、地雷が埋まっていようとも。
僕は顔を洗い、シャワーで体を冷やした後、夕暮れ迫る街に出かけていった。

小泉君、
君は、真新しい作業着で、震災地まで出かけて楽しいか。

島田の帯祭り、猿追い祭り

最近の祭りの取材を。

10月11日には、静岡県島田市に、日本三大奇祭のひとつ「島田の帯祭り」を見に行った。
おっさんが文金高島田に結い、付け髭をつけ、女物の帯を身につけ、くねくね踊りながら歩く。
おっさんがカンカンダンスのダンサーになるコメディーみたいだ。
変態が好きな人には、楽しめる祭りだろう。

11月1日は、群馬県片品村に「猿追い祭り」を見に行く。
これはまず、人々が紅白に分かれ、互いに「赤飯」をぶつけあう。それが終わると、みんなで「猿」を追っかけまわすという、意味不明な祭り。
山奥で、何を考えてこんな祭りを続けているのか、見てみたい。

ラスト・サムライ

今さらながら、「ラスト・サムライ」を見た。
確かに日本描写には変なところはあるが、それでもとても感動した。
最後の戦いのシーンでは、涙が流れたほどだ。

時代遅れとなり、誰からも必要とされず、滅びていく男たちのドラマ。
僕は、こういう人たちに、激しく共感する。

それは、やはり僕にも反時代的なところがあるからだろう。
この世界を、そして時代を呪っている。
常にこの世界や時代に対して、違和感を抱いている。

しかし、誰かが言ったように、革命家というのは、常に反時代的なのである。
徹底的な反動的イスラム主義者のアヤトヤ・ホメイニが、結果的にイラン革命を成し遂げてしまったように。
フランス革命やマルクス主義革命にも、常に原罪以前の、アダムとイブの楽園に戻りたいという衝動があった。
革命とは、いつも反動的なものなのである。

この映画の「ラスト・サムライたち」……馬と刀で機関銃の群れに立ち向かっていく男たちは、もちろん愚かである。
しかし、この愚かな衝動がなければ、人類の進歩などはなかっただろう。
そして、この愚かさを理解できない心情に、未来などない。


フィガロの結婚

今日、NHK-FMで聞いた、ちょっといい話を。

モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」は、すばらしい。
上質なワインのように、「これぞオペラ!」という感じで、観客を酔わせてくれる。
しかし、ストーリーが複雑すぎ、何が何やらわからない。

「いったいあれ、一言で言うと、どういうストーリーなんですか?」
とある人が、クラシック音楽に詳しい人に聞いてみた。
その人いわく、
「ああ、あれは要するに、『フィガロが結婚する』っちゅう話なんですわ」

グーグルとイラク戦争

イラク戦争を惹き起こしたのは、実は検索エンジンのグーグルだった、という仮説について。


マイケル・ムーアの「華氏911」が話題になっている。しかし、日本の玄人筋の間では、必ずしも評判がよくないようだ。

それはまず、あの映画は、「ジョージ・ブッシュとビンラディンの企業がつながりがある」といった、日本ではとっくに報道済みの知識を延々と映していること。今さら何言ってるんだ、というわけだ。

一方、アメリカでは最近、「イラクは大量破壊兵器を持っていなかった」という調査結果が出て、大騒ぎになっている。
だが、そんなことはアメリカ以外の国……日本や中東やヨーロッパでは、さんざん言われていたことだ。「大量破壊兵器の脅威なんてデタラメだ」と。今さら何を言っているんだ。

奇妙な話じゃないか。
アメリカは世界でも最大の先進国で、マスメディアが発達し、最もインターネットが普及し、市民は自由に情報を手に入れることができるはずではなかったか。
それなのになぜ、「大量破壊兵器の脅威なんてない」という単純な、ほかの国では当たり前の常識を、アメリカ人は知らなかったのか。
まるで中世の王国か北朝鮮のように、情報が隔離されているではないか。
あの国では、何が起こっていたのか。

僕はこれは、インターネットのせいだ、と見る。さらに言えば、グーグルの責任である。
「インターネットがあったのに情報が入ってこなかった」のではなく、「インターネットがあったがゆえに情報が入ってこなかった」のだ。
これは、逆説に見えるだろうか。


僕は、奇妙なホームページを見たことがある。
それは、ある民族を、徹底的に誹謗中傷したものだった。
その国の政治家が何年何月にこんな発言をしただの、引ったくり発生率が世界一だの、異常な猟奇殺人がこれほど起こっているだの、女性の何パーセントが売春しているだの……とにかく、その民族の汚いところ、醜いところを、どこまで本当か知らないが、執拗にまで調べ上げて列挙したサイトだった。人生経験の少ない者、愚かな者なら、
「この民族は、こんなに下劣な奴なのか……。よし、今日からこいつらを徹底的に差別し、石を投げ、攻撃してやろう!」
と簡単にだまされ、行動に移してしまうだろう。

だがもちろん、これは欺瞞である。
このウェブサイトは、ある民族の「醜い部分だけ」を集めて公開したに過ぎない。
これとまったく同じことは、日本人に対してもできる。
政治家の汚職、小学生による凶悪犯罪、援助交際の蔓延、地下鉄サリン事件、証拠を隠滅する自動車会社……などという暗黒面だけを選び取って列挙すれば、同じように、「日本人はとんでもない連中だ……」と思う人も出てくるだろう。
賢い人間、まともな人間はだまされないというだけだ。


インターネットのいいところは、「自分の欲しい情報が手に入る」ということだ。
グーグルにキーワードを打ち込む。そうするだけで、自分の望んだ情報は、わりと簡単に手に入る。

しかし、これは逆に言えば、「自分の欲しい情報しか手に入らない」ということだ。
自分の望まない情報、都合の悪い情報は、なかなか入ってこないのである。
イラク戦争下のアメリカで起こったのも、これだったのではないか。


他民族・人種を差別する思想は、もちろん昔から存在していた。
しかし、今世界中に氾濫する、人種差別サイトやネオナチサイトの存在は、単に「今まで地下に潜んでいたものが地上に現れただけ」ということだけでは説明できない。
もともとインターネットに……または検索エンジンに、自分の都合のいい情報だけを取りあげてしまうという、偏狭で差別的な危険性が潜んでいたのではないか。

その点、テレビやラジオといったマスメディアのほうが、はるかに「民主的」だ。逆説的に聞こえるが。
テレビ・ラジオは、一方的に情報を視聴者に投げ込む。
その情報の中には、もちろん視聴者に都合の悪いものも含まれているはずなのだ。しかし、視聴者はそれを拒むことができない。それほどマスメディアは暴力的だ。
だが、強制的に自分に都合の悪い情報を与えられることによって、人はより公平に、寛容になる。自分の考え方だけが、すべてでないことを知るのである。

インターネットは、海である。しかしそこを漂うウェブサイトは、孤島である。
そこには、マスメディアではとうてい取り上げられないような、マイナーな、孤立した情報が氾濫している。そしてそれはお互いに、ほとんど関係がなく、関係を持とうとしない。
孤独な星たちのように、またたきを繰り返し、消えていくのみである。


アメリカ人は、なぜ「イラクは大量破壊兵器を持っていない」という、アメリカとイスラエル以外では常識の情報を知らなかったか。
それは、フォックステレビに代表されるマスメディアがそれを報道しなかったことと、アメリカ人がパソコンにかじりついていたからではないか。
一度「イラクは大量破壊兵器を持っているに違いない」と信じれば、パソコンはそれに都合のいい情報を吐き出してくれる。だが、それに反する情報はなかなか出てこない。

ここに、グーグルに代表される、検索サイトの危険さと致命的な欠陥が浮き彫りになっていると思う。

パソコンは、自分自身を映す鏡である。
そこに映っているのは、自分自身なのだ。
だが、他人は決して現れない。
インターネット、それは自分自身と手を取って踊る、亡霊どものダンスである。
(この項は未完。続きは気が向いた時に)

日本にはライターが何人いるか?(2)

前回は、「日本にはライターが何人いるか?」というテーマに、鋭く迫ってみた。結構な反響をいただいた。
結論としては、「87万5千人」というものだった。


もちろん、これは冗談である。
そんなにいる訳がない。
そんなにいて、この世界が成り立っていけるわけがない。

では、実際に日本には何人のライターがいるのだろうか。
僕は、これを「2~3人」と見る。

現実に、この業界は驚くほど狭い。
新しいモノカキに出会ったら、これが友人ライターの親友だった、という経験はしょっちゅうだ。
至るところでモノカキがぶつかり合い、衝突を起こしている。

以上の事情に鑑み、僕は日本のライターは「2~3人」しかいない、と見る。
これでよく業界が成り立っているもんだ。

日本にはライターが何人いるか?

ソーシャルネットワーキングのMixiに参加している。
で、参加してみて、「いったい日本には何人のモノカキがいるか」ということが分ったので、ここに発表いたします。

僕はここで、NIKON D70 Userというコミュニティに参加している。
ここに参加している人が、180人。
このD70というデジカメは、50万台ほど売れたと言う、ヒット商品だ。

さて、僕はもう一つ、「ライター」というコミュニティにも参加している。
ここの参加者は、315人。NIKON D70 Userのほぼ倍である。

D70は50万台売れているから、315÷180×500000=875000。
つまり、日本には87万5千人ものモノカキが存在することが、明らかになった。


そんなアホな。
いくらなんでも、そんなにライターがいるわけがない。
87万人もモノカキがいたら、ほとんどのモノカキは、食うや食わずやのはずだ。
そんなにパイは大きくないのだから。

これは、要するに「自称ライター」がいかに多いか、ということだろう。
自分で勝手に「モノカキ」を名乗っている者が、いっぱい紛れ込んでいるということだ。

だが、「ライター」というのは「書く人」ということだから、誰でもなれるのだ。
別に原稿を書かなくても、メモを書こうが、落書きをしようが、怪文書を書こうが、何も書かなくても「ライター」なのだ。
この世には、「言論の自由」というものがあるのである。

横浜中華街

気分転換のために横浜に行き、中華街で中華料理を食べてきた。

僕はジャスミンティーが大好きで、普段でもよく飲む。
しかし、普通に東京の街で飲んでいるジャスミンティーと、中華街で本格的な中華料理を食べながら飲むジャスミンティーは、全然香りがちがう。
香りのやる気がちがう、というか。

中華街で飲むジャスミンティーの香りは、ほとんど殺気に満ちている。
それは、香りの挑戦状だ。
「これからあなたは中華料理を食べ、悠久なる中国文化の中に入っていくんですよ……」
という招待状であり、文明の通過儀礼なのだ。

多くの店で、初めにジャスミンティーを持ってくるのは、そういう意味合いがあるのだと思っている。
それは、舞台を日本から中国へと転換させる装置なのだ。
それで僕は、そのむせ返るように馨しいお茶を飲み、油っこい中華料理と格闘する。
まるで文化そのものと格闘するように。


それと、中華街近くの「港の見える公園」というところにも行ってきたが、驚いた。
港なんて全然見えないんだから。
小高い丘の上にある公園なのだが、何本もの高速道路や、高層ビルが醜く視界をさえぎり、港の風景を覆い隠しているのだ。

ここへ女の子をデートに誘おうとしている男は、要注意だろう。
「海の見える公園に、君を招待するよ……」
などと甘くささやきながら、実際に海が見えなかったら、大騒ぎになるはずだ。

実際、別れたカップルの30%は、この「港の見える公園」が原因だ、という調査結果もある(北朝鮮の報告による)。
人生、なにが起こるかわからない。

しかし公園には、海の風だけは盛大に吹いていた。
かつてはここからも、港がはるか見渡せたにちがいない。

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